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東京高等裁判所 昭和54年(う)2209号 判決 1981年3月03日

控訴人 被告人

被告人 薄井ます 外一二名

弁護人 関谷信夫 外二名

検察官 高城龍夫

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人らの平分負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人関谷信夫、同中井川昇一が連名で、弁護人関谷信夫及び同増田弘が各単独で提出した各控訴趣意書に、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事石井和男が提出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

第一弁護人関谷信夫及び同中井川昇一の法令解釈適用の誤り、審理不尽の違法等の控訴趣意について(全被告人の関係で)

所論は、要するに、地方自治法(以下自治法という。)八五条一項は地方公共団体の長の解職投票に公職選挙法(昭和五〇年法律第六三号による改正前のそれで、以下公選法という。)の規定の準用を定めているが、これには例外が多々あり、自治法施行令一一六条の二、一〇九条により公選法一二九条(選挙運動の期間)、一四一条(自動車・拡声機等の使用)、一四二条(文書図画の頒布)、一六四条の三、五(演説会・街頭演説)、一九四条(選挙運動に関する支出金額の制限)などの諸規定は解職投票に準用されず、このように自治法によるリコールの場合は解職に賛成若しくは反対の投票を獲得しようとする運動(以下投票運動という。)のための言論の方法及び費用の支出が無制限に許容される点で公選法による選挙運動の場合と根本的に相違するから、自治法八五条一項により公選法二二一条一項(買収及び利害誘導罪)の規定を準用するに当たつては、投票運動に伴う金銭授受につきそれが合法的な言論活動の費用でないことが合理的な疑問の余地のない程度に確証されたとき初めて違法な「投票及び投票取りまとめの報酬」等として有罪を認定できると解すべきであり、換言すれば、同条項の「当選を得………る目的をもつて選挙人又は選挙運動者に対し金銭………の供与をしたとき」との文言を単に「解職投票を得る目的をもつて投票権者又は投票運動者に対し金銭………の供与………をしたとき」と読み替えるのではなく、「適法な投票運動の費用以外の金銭等を供与したとき」という実質的な限定を付して解釈適用すべきであるにもかかわらず、原判決はこのような解釈態度を採らなかつたものであり、また投票運動に伴う費用の支出は運動方法の多様性と運動期間及び数量の無限定性とから相当多額に及んでも何ら不合理、不自然でないから、その投票運動者間に授受される金銭は原則として適法な投票運動の費用たる性質を有し、これをもつて違法な運動報酬であるとの事実上の推定をすることは許されず、本件において被告人らの間で授受された金銭につきそれが適法な投票運動の費用である疑いがないかどうかを十分審理すべきであつたにもかかわらず、原裁判所は右金銭が食事代、茶菓代、交通費、労務賃、広告費等々の適法な投票運動の費用であることを立証するとして原審弁護人がした証人申請を全て却下したのであつて、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令解釈適用の誤りと審理不尽の違法、ひいては事実を誤認した違法がある、というのである。

そこで検討すると、地方公共団体の長の解職投票につき公選法上の選挙運動期間の制限、自動車・拡声機等の使用制限、文書図画の頒布制限、演説会・街頭演説の制限、選挙運動に関する支出金額の制限などを定めた諸規定が準用されず、大幅に自由な投票運動が許容されることは所論のとおりであるが、投票運動の方法及び費用について何らの制限もないかのようにいう点は必ずしも正確でなく、例えば、公選法一三八条の戸別訪問の禁止、一九七条の二第一項の選挙運動に従事する者に対し支給することができる実費弁償並びに選挙運動のために使用する労務者に対し支給することができる報酬及び実費弁償の額の制限などの規定は投票運動に準用されるのであり(自治法施行令一一六条の二、一〇九条)、加えて解職投票制度が選挙制度と同様に民主政治の根幹をなしその健全な発達を期するため解職投票の公明適正を確保すべきことが要請されることを考えると、選挙の自由公正を害する買収及び利害誘導行為の処罰を定めた公選法二二一条一項の規定を投票運動に準用するに当たり別異の解釈をすべきいわれはないから、所論のうち「適法な投票運動の費用」の弁償としての金銭の授受は買収に該当しないとの部分は相当であるとしても、それを導き出す理由や、いささかでも右の費用の弁償の趣旨を含む限り買収に当たらないとすることには賛同し難く、要するに解職投票の自由公正を害する行為の禁止という観点から、適法な投票運動の費用弁償としてなされる場合を除き、投票又は投票運動の報酬としての性質を帯びる金銭の授受等がなされたときはその行為者に公選法二二一条一項の規定の準用があると解するのが相当であるところ、これを本件について見ると、原判決はその「市長解職に反対する目的で…………解職反対の投票並びに投票とりまとめのための運動をすることの報酬として現金………円を供与し」又は「前示目的及び趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら現金………円の供与を受け」との判文から明らかなように、解職反対投票及び同投票運動をすることの「報酬」の趣旨で金銭が授受されたときに供与罪又は受供与罪が成立することを認めたのであるから、原判決の法令解釈は正当であつて、それには法令解釈適用の誤りはない。なお所論は、原判決の「本件各金員の授受当時、被告人らが(薄井与兵衛)後援会本部に、選挙対策本部なるものを組織して、街頭宣伝活動など被告人らのいう後援会活動を活発に行つていたことは証拠上明らかであり、これが市長解職投票の投票運動にあたることも明らかであるから、右運動に際して、金銭の授受があれば、その趣旨如何によつて、犯罪が成立することも当然である。」との説示部分を挙げて、原判決は本件リコールの投票運動に際して金銭の授受があれば直ちに供与又は受供与罪が成立するとの解釈を採つている旨主張するが、これは右説示中の「その趣旨如何によつて」との文言を看過した主張であつて失当である。原判決の法令解釈適用の誤りをいう所論は採用するに由ない。次に、投票運動者間で金銭が授受される場合にそれが適法な投票運動の費用弁償たる性質のものか、報酬性を帯びるものであるかを認定するに当たり、投票運動者の一方が費用を伴う投票運動をしたか(又は将来するか)否かを調査することはもとより意味がないわけではない。しかしながら、調査の結果費用を伴う投票運動の事実が判明したとしても、他方の投票運動者からその者に交付される金銭が常に適法な投票運動の費用弁償たる性質のものといえるわけではなく、右金銭に投票運動の費用と報酬の双方の趣旨が渾然として含まれる場合、運動費用の弁償は別の機会に譲り右金銭が報酬の趣旨のみで交付される場合、あるいは戸別訪問等違法な運動の費用弁償として交付される場合なども考えられ、これらの場合には供与又は受供与罪の成立を免れないので、費用を伴う投票運動の事実は問題の解明にとつてやや間接的な事柄というべきであり、端的に金銭授受当時の状況例えば、金銭の使途の指示ないし確認、授受の公然性、証憑書類の存否などの調査を尽してその報酬性が証明されたときは、それ以上の調査は必ずしも必要でないと認められるところ、本件においては、原審で取調べられた多数の証拠を総合することによつて後述のとおり本件金銭の報酬性を優に肯認することができるから、投票運動に種々の費用がかかつたことを立証するとしてなされた証人申請を採用しなかつた原裁判所の措置(ただし、この点についてある程度の証拠調はなされている。)を違法視するのは誤りであり、したがつて原判決の審理不尽及びそれに基づく事実誤認をいう所論も採用することはできない。以上論旨はいずれも理由がない。

第二弁護人増田弘の法令適用の誤りの控訴趣意について(被告人堀川秀雄の関係で)

所論は、要するに、原判決は薄井与兵衛後援会の会計帳簿に本件金銭の授受についての具体的な記載がないことを理由にして、原審弁護人の右金銭は後援会活動に要した立替金の概算払いとして支出されたものであるとの主張を排斥したが、自治法施行令一一六条の二、一〇九条によれば会計帳簿の備付及び記載を命じている公選法一八五条の規定は解職投票に準用されず、したがつて後援会の会計帳簿に本件金銭の流れについての記載がないからといつて何ら異とするに足りないから、これを理由とする原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがある、というのである。

しかしながら、所論は、原判決が右の後援会活動も市長解職反対の投票運動に当たることを明らかにしたうえ、本件金銭について「(後援会の)小型金銭出納帳の昭和四六年五月二〇日欄に『薄井婦人渡』として一二〇万円の支払が記帳され、農事メモには『6/3寄附金』として一二〇万円の入金が記帳されているのみで、その余の本件金員の流れについては一切記帳されていない。他面、右出納帳、農事メモには、支部等への経費の概算払いと認められる支出が、その都度記帳されているのであつて、これと対比すると、本件において授受された金員が後援会の帳簿に記載されていないことは、不合理かつ不自然である。」と説示する点をとらえて原判決を非難するものであるところ、その前後の説示とも併せ読むと、右の説示部分は原裁判所の心証形成の理由を示したものであつて、解職投票においても会計帳簿の備付及び記載が厳密になされなければならない等の法令解釈を示すものでないことは明らかであるから、所論はその前提において失当であり、排斥を免れない。論旨は理由がない。

第三弁護人関谷信夫、同中井川昇一及び同増田弘の事実誤認の主張について(全被告人の関係で)

所論は、要するに、原判決は任意性も信用性もない被告人らの検察官に対する供述調書を採用して本件金銭が解職反対投票及び同投票運動の報酬の趣旨で授与された旨認定しているが、被告人らの原審公判廷における供述などによれば右金銭は薄井与兵衛後援会における後援会活動に要した費用の概算払いとして授受されたものと認められるから、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで、原審及び当審で取調べた関係証拠に基づき検討すると、茨城県那珂湊市長薄井与兵衛は昭和四五年四月八日同市職員八名に対する昇給延伸処分を行い、そのため市職員組合が態度を硬化させて市当局と組合の対立が表面化し、これについては数次の団体交渉を経て同年八月二〇日右昇給延伸の是正などを内容とする協定が成立したが、同市長が同月二九日組合の委員長及び書記長に対し庁内デモ、坐り込みなどの指導を理由に地方公務員法二九条一項により懲戒免職処分を行つたためその撤回をめぐつて対立が激化し、市長は同月三一日ガードマン導入、同年一二月五日組合員二四名に対する勤勉手当の一割カツト、同月二六日同一七名に対する職場放棄、市長・助役の監禁などを理由とする停職、戒告、減給処分を行うとともに昭和四六年一月一一日ガードマン的な臨時職員二一名を採用し(ただし、市議会からの勧告もあつて同月二〇日全員解雇)、これに対して組合側は同月一四日市長及び助役を地方公務員法違反を理由に告訴するなどし、右の市役所内部における紛争は次第に那珂湊市民にも波及して市民は市長派、反市長派と若干の中間派に分かれ、反市長派はついに同月一九日今井三郎ほか一名を代表者とし、市長が人事権を濫用して組合を弾圧したこと、暴力団員をガードマン的臨時職員として採用したことなどを請求の要旨とする市長解職請求書を添えて那珂湊市選挙管理委員会に市長解職請求代表者証明書の交付方を申請し、同月二二日同選挙管理委員会から請求代表者証明書の交付を受けたうえ同年二月六日署名者数一万二五四五人に及ぶ署名簿を提出し、市選挙管理委員会は署名簿の審査、市長解職請求の受理その他所要の手続を経て同年五月三一日付で同年六月二〇日に解職賛否投票を行う旨の告示をし、これに基づいて六月二〇日解職投票が実施され、有権者総数二万二六四六人のうち一万七二九六人が投票し、その結果有効投票数一万六八七三票のうち賛成票が一万〇八二〇票と過半数を超えたため、薄井市長は自治法八三条によりその職を失うに至つたこと、薄井与兵衛後援会連絡協議会は、前示の薄井市長と市職員組合の紛争が熾烈化した昭和四五年九月に市長擁護態勢を強化するため従前那珂湊市内の数地区に存した任意団体たる薄井与兵衛後援会を統合し本部を同市辰ノロ所在の三浜船員会館に置き代表者を横須賀與四郎と定めて結成された政治資金規正法上の団体であり、市長解職請求がなされ一万人以上の署名簿が提出されて解職投票を避け難い状況にあつた昭和四六年三月ころ本部を同市六丁目に移すとともにその後その近くに事務局を設け、この間宣伝カーを走らせ、座談会を開きあるいはパンフレツトやビラを頒布するなどして組合やリコール派に対する攻撃、解職賛成署名に対する反対運動、市長擁護など各般の活動を行つてきたが、同年四月二五日施行の那珂湊市議会議員選挙が終つたあと同年五月中旬までの間において市長派の当選議員、落選議員などから成る「選挙対策本部」(以下選対本部という。)が設けられ、選対本部と薄井与兵衛後援会連絡協議会(以下後援会という。)本部とが渾然一体となり、実質的には選対本部が中心になつてその後の各般の投票運動を展開してきたこと、被告人薄井ますは薄井市長の妻、同助川一司は後援会の事務責任者、同吉村忠夫、同黒澤英雄、同黒澤大二、同黒澤武雄、同川崎萬吉、同堀川秀雄、同根本徳太郎は市長派の市議会議員、同大内一郎、同柴田亀吉は市長派として前示市議会議員選挙に立候補したが落選した者、同河田勝治は後援会釈迦町支部の活動家、同野澤力三は後援会磯崎副支部長で、いずれも市長解職反対の投票運動者であり、このうち被告人川崎萬吉は選対本部長、同吉村忠夫は組織部長をしていたことなどの本件に至る経緯、背景が認められるところ、原判決挙示の各証拠なかんずく後記認定のとおり任意性に疑いのない被告人らの検察官に対する供述調書によれば、原判示のとおり、被告人薄井ます、同吉村忠夫、同助川一司は共謀のうえ昭和四六年五月二〇日ころから同月下旬にかけて市長解職反対の投票および投票運動をすることの報酬の趣旨で、被告人黒澤英雄、同黒澤大二、同黒澤武雄、同川崎萬吉、同堀川秀雄、同根本徳太郎及び亡竹内克己(市長派市議会議員)に各現金一〇万円を、被告人野澤力三に現金三〇万円を、同大内一郎及び同柴田亀吉に各現金五万円を、黒澤佐左衛門(市長派市議選落選者)に現金三万円をそれぞれ供与し、被告人吉村忠夫は同年六月一六日ころ前同趣旨で被告人河田勝治に現金五万円を供与し、被告人黒澤英雄、同野澤力三、同黒澤大二、同黒澤武雄、同川崎萬吉、同堀川秀雄、同根本徳太郎、同大内一郎、同河田勝治及び同柴田亀吉は前同趣旨で供与されるものであることを知りながら前各現金の供与を受けた旨の原判決認定事実は優にこれを肯認することができ、原判決に所論主張の事実誤認は認められない。以下所論にかんがみ問題点について補足説明を加える。

一  所論は、被告人らの検察官に対する供述調書(亡竹内克己のそれを含み、被告人堀川秀雄のそれを除く。)について、被告人らの原審供述に依拠して、逮捕又は取調の当初否認していた被告人らが自白するに至つたのは捜査官ことに検察官の違法な脅迫、利益誘導などに起因しその任意性に疑いが存する、すなわち、検察官は威迫的な態度で「そんなことを言つているといつまでも帰れないぞ。主人を連れて来て調べる。」と言つた(被告人薄井ますにつき)、警察官は「検察官に気に入られるような返事をしろ。早く出るには気に入られることだ。」と利益誘導をし、検察官は否認すると怒り、また「弁護士によく話せばこの事件は無罪だから調書作りに協力しろ。」と詐術を用いた(同吉村忠夫につき)、再逮捕により心身ともに疲れ預金通帳も押収され妻が生活に困つていたところ検察官は「通帳を返してやるからこれ位の責任は取れ。」と利益誘導をし、また供述調書ができなければ釈放されないとか他の共犯者を再逮捕すると威迫した(同助川一司につき)、警察官は「(被告人)吉村は買収したと言つており、それに合わないと何回でも逮捕する。」と脅迫し、さらに「検事の前で自白をひるがえすと警察に逆戻りだ。」と言つた(亡竹内克己につき)、検察官の前に手錠をかけたまま立たされ「貴様か否認しているのは。後日このとおりになつたらどういう罪を食うか覚悟ができているか。帰れ。」と大喝され、警察官は「検事を怒らせると大変なことになる。今なら取りなしてやる。考えなおせ。」と言つた(被告人根本徳太郎につき)、取調中に検察官が怒つて机を叩いて立上つたため机で押されて転ばされ、首を打つた(同川崎萬吉につき)、検察官は「(被告人)吉村は買収金と早く認めてくれと泣いて頼んでいる。別の目的に使つたのであれば君は詐欺をしたことになる。」と脅迫した(同黒澤大二につき)、供述調書に署名を拒否すると検察官は「すぐ出られるのであるから指印をしなさい。」と利益誘導をした(同黒澤武雄につき)、捜査官は「(被告人)吉村の調書と合わないと出さない。」と威迫した(同野澤力三、同大内一郎につき)、検察官は否認すると警察調書を見ながら「嘘をつくな。」と怒つた(同黒澤英雄につき)、警察官は「認めないと出さない。一週間でも一〇日でも入つていろ。」と言い、検察官は少しでも意に添わない供述をすると大声で机を叩き激昂した(同河田勝治につき)、身柄は拘束されなかつたが、検察官は「署名捺印すれば帰してやる。」と利益誘導ないし威嚇をした(同柴田亀吉につき)のであつて、被告人らはこれによりやむなく捜査官の誘導に応じて虚偽の自白をし、あるいは捜査官がほしいままに作文した供述調書に署名押印したものである、と主張する。しかしながら、本件捜査は、被告人河田勝治が本件解職投票に関し河田八代重及び川上キヨに対し戸別訪問をさせることの日当名下に各現金一五〇〇円を供与したとの被疑事実により関係者を取調べ、投票翌日の昭和四六年六月二一日同被告人を逮捕して開始されたものであるところ、それと殆ど同時に投票運動者の一人であつた川上孝一が関係者に働きかけて事件の拡大を妨げ、あるいは被告人助川一司の事件との係わりを故意に隠蔽するなどの行動に出ていること(石川ちよ、薄井てう、昭和四六年六月二六日付河田八代重の検察官に対する各供述調書)、被告人薄井ますが同年七月二七日逮捕されるまで所在を隠していたこと、供与者とされた同被告人や被告人吉村忠夫が取調の当初本件金銭の額、供与準備行為の場所、供与の相手方等について被告人らの原審供述によつても虚偽であることの明らかな供述をしその旨の供述調書が作成されていることなどに照らし、本件において大がかりな罪証隠滅工作が行われたことは明白であり、これに対して被告人らの取調に当たつた捜査官が理づめの質問やある程度の誘導をし、ときに語気を強めることもあつたのであろうことは推認するに難くないが、もとよりこの程度の質問等による取調方法をもつて違法な誘導、脅迫などによるものということはできないばかりでなく、被告人らの捜査官とりわけ主任検察官の取調の違法不当をいう前引用の供述部分は、被告人らが原審公判廷において、本件供与の共謀を否定し(被告人助川一司)、あるいは本件金銭授受の趣旨が従前の立替金を清算することにある(その余の被告人ら)などと検察官に対する供述調書の内容と矛盾する供述をするについて、その供述を維持するためになされたものであるが、前叙の罪証隠滅工作にかんがみると、被告人らの法廷供述全体についてその信用性には根本的な疑問がつきまとい、また右の従前の立替金の清算などとする供述は後述のとおり当時の客観情勢と対比して甚だ不自然であり、にわかに措信することができないのであつて、これらの事情に加えて、被告人らのうちのある者が「自分も信仰の道に入つたので本当のことを述べると取調警察官に言つたかも知れない。」との暗に自白の真実性を認める供述をしていること(被告人薄井ます)、「検察官が、弁護士によく話せばこの事件は無罪だから調書作りに協力しろと言つた。」旨の甚だ奇妙な供述をしていること(同吉村忠夫)、検察官の取調態度を縷々非難しながらその供述があいまいで一部訂正するなどしていること(同根本徳太郎)、身柄を拘束されたこともないのに、身柄を拘束された被告人らと歩調を合せるかのような供述をしていること(同柴田亀吉)などにかんがみて、被告人らが捜査官の取調方法について利益誘導、脅迫、偽計などをいう点は、捜査官の言動を苛酷なものと過度に強調するところの為にする弁疏と認めざるを得ないところであり、さらに原判決も説示するように、被告人らはいずれも原審公判廷において、各その検察官に対する供述調書に署名押印するに際しその内容を読み聞かされたことを認めていること、各供述調書の内容は、詳細かつ自然で前後の脈絡もあり、被告人らの積極的な供述がなければ捜査官の知り得ない事項が多々記載されているほか、訂正の申立に応じて訂正がなされている箇所もあり、また記憶がないとの供述はそのまま録取されているし、とくに供与者とされた被告人薄井ます、同吉村忠夫のそれについては、同被告人らが当初前叙のように虚偽の供述をなしたところがそのまま録取されていることなどに照らし、被告人らの検察官に対する供述調書が捜査官の強度の誘導に基づいて作成され、ないしは検察官が一方的に作成したとは到底認められず、そのいわゆる捜査官の違法不当な取調と自白との間に何らの因果関係もないことが明らかである。なお、被告人助川一司が再逮捕されている点は最初被告人吉村忠夫と共謀して被告人河田勝治に対し現金五万円を供与したとの被疑事実により逮捕されたが、これを否認したため(被告人助川一司の原審供述)釈放されたあと、昭和四六年八月一〇日新たに発覚した被告人薄井ますから現金一〇〇万円の供与を受けたとの別個の被疑事実により再逮捕されたものであることが認められるから、違法不当な再逮捕はといえず、また被告人川崎萬吉が検察官の取調中に机で押されて軽倒し首を打つたとの点は同被告人の原審供述によつても、検察官が立上つた際たまたま机が倒れ自分も転倒したというものであって、仮にそのような事実があつたとしても当該検察官が故意に暴行を加えて自白を強要したとはいえないうえ、原審で取調べた同被告人の検察官に対する供述調書二通は別の検察官が作成したものであつて転倒の事実と自白との間に因果関係はないというべきであり、その他所論は、取調時において被告人吉村忠夫は神経痛、同助川一司は高血圧に悩まされていたと主張するが、検察官がこれらの病状を利用した自白を強要したことを窺わせる事情は全くないのみならず、被告人助川一司に対しては拘置所の医師による診察もなされている反面、両被告人が勾留に耐え得なかつた等の状況も認められないから、いずれも当該被告人の自白の任意性を疑わせるものでない。以上によれば、被告人らの検察官に対する供述調書はその任意性に疑いがなく、かえつてこれが肯認され、したがつてこの点の所論は採用するに由ない。

二  次に被告人薄井ます、同吉村忠夫、同助川一司の共謀、ことに被告人助川一司の本件関与の程度の点について検討すると、右被告人三名の検察官に対する供述調書などによれば、右被告人らは昭和四六年二月六日有権者総数の半分以上に及ぶ市長解職請求の署名簿が提出されたことや同年四月二五日施行の市議会議員選挙において市長派の勢力が後退し市長派議員と反市長派議員の数が互角となつたうえ中間派議員が増えたことなどから解職投票の結果に危惧感を抱いていたところ、同年五月中旬被告人吉村忠夫、同助川一司が被告人薄井ますに対し市長派議員らに金を渡すから二〇〇万円位を準備してほしいと頼んだこと、前後は判然としないがそのころ被告人吉村忠夫、同助川一司が連れ立つて平野屋こと根本義勝(投票運動者)方へ赴き、被告人吉村忠夫が市長派の市議会議員や市議選落選者らの氏名をメモした罫紙を取り出して右根本に見せながら、「(市長派の議員らに手当てするのに金がかかる。」などと言つたこと(主として根本義勝の検察官に対する昭和四六年九月一三日付供述調書による。)、被告人薄井ますはその後の同年五月二〇日ころ同被告人の兄で後援会の事実上の会計担当者であつた岡部勝一から後援会の資金一二〇万円を借り受け、これに手持ちの八〇万円を加えて二〇〇万円の現金を準備したうえ、右岡部方で被告人吉村忠夫、同助川一司と会い、両被告人から前示罫紙を示されながら金銭の授与先、その金額について説明を受け、同説明に基づいて被告人吉村忠夫に現金一七〇万円を手交し、これとは別に同助川一司からの要求により同被告人に二〇万円を渡し、被告人吉村忠夫は右一七〇万円を三〇万、一〇万、五万、三万などに分けてそれぞれ封筒に入れ、これを前叙のとおり被告人河田勝治を除くその余の被告人らに授与したことが認められ(なお、被告人吉村忠夫はその後別に四〇万円を用意してそのうちの五万円を被告人河田勝治に授与したものである。)、以上によれば、被告人薄井ます、同吉村忠夫及び同助川一司の間において本件供与についての共謀が成立していることは明らかである。これに対して所論は、被告人助川一司は水戸市内に居住していた者で、同被告人が那珂湊市に初めて来たのは昭和四六年五月一七日であり、同月一九日被告人吉村忠夫、亡竹内克己とともに平野屋こと根本義勝方へ赴いたのは後援会の事務局に勤務することになつたことの挨拶のためであつて、その際右の三名が何か立替金の支払いに関する話をしていたが関心がなかつたので口を出さなかつたし、翌二〇日被告人薄井ますと一緒に事務局へ出向く途中岡部勝一方に立寄つたのも同人に挨拶をするためであり、同人方において被告人吉村忠夫とも一緒になつた際両被告人が話をしていたがこれには加わらず、ただ被告人薄井ますから二〇万円を事務局の費用として渡されてこれを預かつたことがあるに過ぎないから、被告人助川一司が本件供与についての共謀に加担したことはなく、このことは他の被告人らが原審公判において、こぞつて被告人助川一司の本件関与を否定していることからも明らかである、と主張するのであるが、そもそも関係者の供述が一致するからといつて常に真実が語られているとはいえないうえ、本件においては前叙のとおり被告人助川一司の関与を隠蔽しようとの罪証隠滅工作が存したのであるから、むしろ関係者が一致して虚偽の供述をしていると解する余地が十分にあり、また右の所論の根拠となる証拠は被告人助川一司の原審及び当審公判廷における供述や被告人薄井ます、同吉村忠夫の原審供述などであるところ、これらは同被告人らの検察官に対する供述調書と対比して措信することができず、なお被告人薄井ます、同吉村忠夫の検察官に対する供述調書によれば、前示の岡部勝一方における現金一七〇万円の授受に際して被告人助川一司が被告人薄井ます、同吉村忠夫の面前で、右の現金を市議会議員らに交付することに関連して「(市議会議員の)金バツジを外させるようなことはさせないから心配しなくてよい。」と発言したことが認められ、この点は原判決も説示するように被告人助川一司の本件供与についての係わりを如実に示すものといえるから、これによつても同被告人の本件関与は明白である。もつとも、同被告人が那珂湊市に来るようになつた時期については、同被告人の検察官に対する昭和四六年八月三一日付供述調書中にも同年五月一五日よりも後である、との所論に添うような記載があるが、同被告人の検察官に対する同年七月一五日付、同年八月一八日付各供述調書によると、同被告人は薄井市長とは同人が以前茨城県議会議員をしていたころからの知り合いで、前叙のように那珂湊市職員組合との紛争が激化した昭和四五年九月ころ同市長から助役を介するなどして助力方の要請を受け、組合の背後に共産党があるとの認識のもとにその強固な反共思想も手伝つて同市長を擁護しようと決意してこれを承諾し、直ちに従前の薄井与兵衛後援会を統合して政治資金規正法上の団体にするための手続を行い、あるいは同市役所に来て団体交渉に参加するなどし、その後も事態の推移に関心を持ち、解職請求の状況や市議会議員選挙の結果などから危機感を抱いてきたものであることが認められるのであつて、なるほど投票運動に本格的に取組むため薄井市長宅や後援会事務局に泊り込むようになつた時期が昭和四六年五月一六日か一七日ころであるとしても、右の事情に照らすと、同被告人が常駐態勢をとるのと同時に投票運動を開始し、その一環として市長派議員らへの金銭供与を考え、被告人薄井ますに対しその準備を頼んだと認めることは何ら不自然でないから(右の依頼が常駐以前になされたと認め得る余地もある。)、この点が被告人助川一司の本件関与を肯定することの障害になるとはいえない。所論は採用するに由ない。

三、所論は、本件金銭の授受の趣旨について、被告人らは昭和四五年四月の昇給延伸処分に端を発した薄井市長と市職員組合との紛争において同市長を擁護すべく大々的に労組対策と市民啓蒙運動などの後援会活動を行つてきたところ、右紛争がリコール問題に発展してからはあくまでもリコールを避けるべきであるとの空気が被告人らの間に発生し、被告人吉村忠夫らが薄井市長に対しリコールを避けるため辞表を提出するように進言し、同市長が昭和四六年五月末までに辞表を提出する意向を示したことなどから被告人らはリコールが避けられることを確信していたものであり、現に同年六月一六日後援会事務局に被告人らの殆どが集まつた席上で同市長から辞表が出された経緯があり、それが市長辞職につながらずリコール投票が実施されるに至つたのは急に中間派市議会議員の間にリコールを実現すべきであるとの意見が起つたことによるのであり、この間の同年五月一二日後援会本部に被告人薄井ますや同吉村忠夫、同川崎萬吉、川上孝一、深谷半四郎、根本甚市等の後援会幹部が集まつた際に、「リコール運動はこれで一応終る。前からの立替金をこの際払つてもらつたらどうだろう。」との話が出て、相談の結果被告人らが前示の労組対策や市民啓蒙運動などの後援会活動を行うについて立替えていた印刷費、会合費、交通費、労務賃等々の費用を後援会から概算払いすることとし、被告人吉村忠夫がこれを担当することに決定され、同被告人は右の決議に基づいて概算払いのメモを作成して本件金銭の交付をなしたのであつて、この立替金清算の話はそれ以前からも話題に上つていたし、前示根本甚市が同月一八日に後援会各支部の会計責任者や顧問などを本部に招集して説明してもいるので、被告人助川一司を除きその余の被告人らの了知しているところであるから、本件金銭の授受は後援会活動の立替金を清算する趣旨でなされたものと認めるべきであり、解職投票の投票運動とは関係がない、と主張し、この点に関する原判決の説示を種々非難するところである。

そこで、右の点に関する原判決の説示を見ると、そのうち「被告人らのいう組合対策、市民に対する啓蒙運動ないしリコール反対運動のため各被告人らが立替払した費用を支払おうという幹部会の決議ないし取決めがあつたとすることは、納入された会費もなく、適正な寄付金も殆どない後援会としては、資金的にこれを支出するに由ないものであるから、その資金的手当をしないまま右のような決議をすること自体不合理である。」との説示部分は、原審及び当審で取調べた各証拠を総合して検討すると、適正な寄付金というかどうかは別にして後援会の活動資金は、薄井市長又は被告人薄井ます、その親族、市長派議員らの寄付金によつていたことが明らかであるほか、本件当時後援会には相当の資金があり、現に被告人薄井ますが被告人吉村忠夫らから二〇〇万円位の金の準備を頼まれた際に後援会の資金一二〇万円を一時借用している事実もあるから、後援会に資金的手当がなかつたということを所論排斥の理由とすることはいささか疑問であり、これと同様の意味において、前叙の被告人吉村忠夫が平野屋こと根本義勝方において市長派市議会議員らの氏名をメモした罫紙を右根本に示した際の状況について、原判決が根本義勝の検察官に対する昭和四六年九月一三日付供述調書を信用すべきものとして同調書により被告人吉村忠夫がその際「市長派の議員に手当する金がかかる。その金が無くて困つているんだ。」と発言し、右根本が「おますさんに相談しなさい。」と答えたことが認められるとしたうえ、「当時はまだ具体的に市議らに配布する資金の手当がついてなかつたと考えられるのであつて、それより以前に幹部会の決議があつたとすることは経験則に反するものがある。」と説示する部分についても、右供述調書に他の証拠をも参酌すれば、被告人吉村忠夫はその時点以前においてすでに被告人薄井ますに本件供与資金の準備方を依頼していたと解する余地もあつて、「その金が無くて困つているんだ。」と発言したとまでは断定し難く、右説示の前提に問題があるほか、仮にそれを認めるとしても、前示のような寄付金を集めることによつて後援会の資金が充足されるから、資金手当がなかつたとの理由によつては所論を排斥し得ないというべきである。また原判決が「(立替金の清算)決議については、捜査段階においては全く触れられていないし、冒頭手続における被告事件に対する陳述においても、各被告人及び弁護人において一切触れるところがなく、審理の終期に至つて初めて、各被告人から供述されたものであつて、その供述の時期、審理の経過に照らしても、右供述はいずれも信用するに価しないものである。」と説示する部分については、被告人らが捜査段階において全くこれに触れていないことを不自然とする点はまことにそのとおりであつて、所論が捜査段階でその旨の供述をしたにもかかわらず捜査官がこれを録取しなかつたかのように主張するところは採用の限りでないが、冒頭手続においても原審弁護人らが右の決議に言及していないとの点は、もともと同手続においては公訴事実に対する簡潔な認否程度の陳述が予定され、その機会に被告人側の抗弁ないし反論がないことを不自然とまではいえないうえ、原審記録によれば、その際被告人薄井ます、同吉村忠夫及び弁護人が本件金銭は後援会の活動資金又は費用である旨の陳述をしていることが認められ、それは立替金清算決議の存在を明言するものでないとしても同決議に関連する陳述といい得ることにかんがみて、右のように説示することに疑問がないわけではない。

しかしながら、翻つて検討すると、所論に添う被告人らの原審及び当審公判廷における供述はその検察官に対する供述調書と対比し、併せて前叙の大がかりな罪証隠滅工作をも考慮すると、にわかに措信することができないのであり、この点はしばらく措くとしても、原判決が説示するその余の理由すなわち、岡部勝一が記帳していた後援会の会計帳簿である小型金銭出納帳及び農事メモ帳には後援会支部等への経費の概算払いと認められる支出がその都度記載されているのに反して、本件金銭については被告人薄井ますが昭和四六年五月二〇日右岡部から一二〇万円を一時借用し同年六月三日に同額を返還したことを示す記載があるのみで、被告人吉村忠夫がこれを交付した相手方、その月日及び金額については一切記帳されていないこと、後援会の会計担当者は根本甚市と定められ、事実上は岡部勝一がこれを担当していたのにかかわらず、会計事務に関係のない被告人吉村忠夫が本件金銭の配付に当たつたことなどは被告人らの公判供述の信用性を否定する事由となるものというべきである。この点について所論は、記帳の不備は捜査官による捜索の際に記録が散逸したために生じたものであるというが、前示小型金銭出納帳及び農事メモ帳の昭和四六年五月から六月にかけての記帳に不備は認められず、それにもかかわらず本件金銭の配付状況の記載がないのはまことに不自然であり、また所論は、被告人吉村忠夫は前示の決議に従い会計担当者の意思に基づいて立替金の清算に関与したというが、同被告人は当時選対本部の組織部長をしていたものであつて、そのような者が正規の会計担当者がいるのにこれを差し置いて立替金清算者に指名され、自ら金銭を配つて回るなどということは甚だ不合理、不自然というほかなく、かえつてこれらの事情は本件金銭の授受が正規の支払ルートを外れ密かになされたことの証左となるものというべきである。これに加えて、立替金の清算といいながら各人ごとにその額を確定する手続がとられた形跡がない点も通例に比して異常であり、もつともこれについては所論が、各人の後援会活動の状況から大よその出費は判明していたし、その額を話し合つたこともあるというので一応措くとしても、本件金銭の授受に際し領収書等の証憑書類を徴していない点は甚だ不自然というのほかなく、これに対して所論は、後援会の内部関係における収支については政治資金規正法による証憑書類の徴収は不要であると主張するが、問題は清算を目的とする高額の金銭の授受において領収書も取らないのは一般常識に反しないか否かにあり、法律上の要否を云々するのと異なるから、この点の所論も採用し難い。そして、被告人らの公判供述のうち最も疑問があるのは、薄井市長が辞表を提出することによつて解職投票は回避できると確信し、それゆえに立替金の清算に入つたという部分であるところ、これについては原判決が説示するように、被告人薄井ます、同吉村忠夫、同助川一司らに解職投票を回避しようとの考えもあり、また薄井市長が辞表を書きこれを解職賛否投票の告示の前日である昭和四六年五月三〇日と告示後の同年六月一六日ころの二回にわたり助役や被告人らの面前に差し出したことは認められるものの、結果的には同市長は辞職しないまま解職投票が実施されたのであつて、前叙のような解職投票を避け難い情勢のもとにおいて同市長を擁護するためには市長に辞表の提出を進言して解職投票回避を図るのみでなく、市長の辞職が確定するまではそれと並行して解職投票に備えて万全の態勢をとるべきであり、かつそうすることが当然と考えられるから、被告人らが市長の辞職が確定するのも待たずに、市長は辞職するものとの単なる予測によつて「リコール運動はこれで一応終る。立替金の清算をしよう。」と相談してその旨の決議をしたなどというのは甚だ不自然であること、現にそのいわゆる清算前において選対本部なるものまで設けられ、清算後においても被告人らによつて街頭宣伝活動、戸別訪問等々が行われていること、被告人吉村忠夫が原審第五一、第五四回各公判定において、投票日ぎりぎりまで市長が辞職するように努力したが、市長は強気一点張りで同被告人の言うことを聴かないので、県知事に説得方を依頼し、その結果六月一六日市長から辞表が差し出された旨の所論と異なる供述をしている部分もあることなどの諸事情にかんがみて多大の疑問が存するというべきであり、以上によれば、本件金銭の授受の趣旨が従前の後援会活動に要した立替金の清算にあるとの被告人らの原審及び当審公判廷における供述は到底信用することができないから、この点の所論も採用するに由ない。

以上説示したところに照らすと、結局、被告人らの検察官に対する供述調書は措信するに足り、その他原判決挙示の証拠と総合すれば、本件金銭は従前の立替金に対する弁償の趣旨も一部含まれてはいるが、その特定はなく、主として投票及び投票運動をすることの報酬の趣旨で渾然一体のものとして授受されたことを十分肯認し得るところであり、なお関係証拠によれば、被告人川崎萬吉が「那珂湊の真相」というパンフレツトの印刷代一二万円を後援会のために立替払いしたことが認められ、またその他の被告人についても所論のいう立替払いの事実を認め得るとしても、本件金銭の授受に際してこれが具体的に意識されていたわけでも、具体的に特定されていたわけでもないから異とするに足りず、また被告人河田勝治は供与を受けた五万円の一部を家人や知人に対し戸別訪問をして解職反対のための投票用紙ひな型を配付したことの日当として交付していることが認められるが、右は自治法により禁止されている違法な投票運動に当たり、その日当といつても報酬性を帯びるものであり、この事実によつて供与を受けた金銭の趣旨が適法な投票運動実費の前払いにあるとの推認をすることはできず、その他所論が若し被告人らが買収という不正の意図を有していたものとすれば後援会の会計帳簿に本件金銭に関する証跡を残す筈がないと主張する点も、同帳簿には前叙のとおり本件金銭の授受を現わす具体的な記載はなく、単に被告人薄井ますが後援会から一二〇万円を一時借用し後日これを返したという程度のことが記載されているに過ぎないことにかんがみ到底採用するに由ないものである。

以上論旨はいずれも理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文を適用してこれを全部被告人らに平分して負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 千葉和郎 裁判官 神田忠治 裁判官 中野保昭)

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